雪の日とこども

 先日から記録的な寒波が日本に到来し、私が住む地域でも雪が積もっております。全国的にも被害がでる地域があり、皆様の無事をお祈りします。私自身は、雪深い地域で育ったので雪への対処に苦はないのですが、寒いのは苦手です。私には、潰瘍性大腸炎という持病があり、寒いとお腹が痛くなったりします。ただ、発病から時間が経ち、持病との付き合いには慣れているので、寒い日は暖かい準備をすればなんてことはありません。通勤路に両脇が崖の一本道がありまして、崖から落下しないか怖い思いはします。こちらについても、いつもより早く出発してゆっくり走行すれば大丈夫です。今住んでいるお家は、水道管が凍りつくこともないですし、雪で埋もれて外に出られなくなるようなこともありません。家の中は、暖房に包まれており「住」のありがたさを実感します。

 子供が日に日に大きく成長しています。今朝、出勤する時に、心配だから雪かきをしてあげると、車が発進しやすいように自動車の前の雪をかきだしてくれました。つい先日まで、小さな幼児だと思っていたのに成長したものです。私の好きな絵本に『ちいさなあなたへ』(絵:ピーター・レイノルズ)という絵本があります。その中に「わたしの赤ちゃんは、いつの間にか、わたしの子供になっていました」というフレーズがあります。まさにその通りでした。気づけばいつの間にか青年になり、いつの間にか大人になっているのでしょう。いつか、良い事があった時に嬉しくて高らかに歌を歌う。自分を試したくなり大きくジャンプアップを試みる。そして、悲しみにくれる日もきっとくるのでしょう。親は、ひとつひとつ、自分にしか経験できない人生を歩み、強き自分というものを掴んでほしいと願うことしかできません。とにもかくにも、降り注ぐ雪が、子どもの成長を確かめさせてくれました。彼女はまだ小さな手で力強く雪かきスコップを振るい、積雪に負けないように足を踏みだしました。もう、雪に滑って転んで泣くこともありませんでした。雪が楽しくて自分の使命を忘れることもありません。ただ、親が安全であることを願い、一緒に雪かきをしました。私の胸に嬉しさと共に寂しさが同居していることを感じます。願わくば、我が子も同じ思いを味わうことができるようになることを祈りました。

 雪が溶けだす頃、彼女は来年の冬の到来を願うでしょう。春の終わり、雨音が激しくなる頃。夏休みが終わる頃。つむじ風を感じる頃。きっと思うのでしょう。侘しさや悲しさがあるから喜びや期待を感じます。私が感じる春夏秋冬と厳密には違うのだけれど、大きな意味で日本人としての共感覚が備わっていくのでしょう。虚ろい変化していくことは美しい。誰もが止めようのない変化の中で生かされている存在。やがて朽ち、次のことが始まる。その大きな流れの中で、一生懸命生きる。雪は、そんな親の願いを運んでくれました。もちろん、客観的に見れば雪に確たる意思などありません。私の情緒が、降り積もる雪と親のことを思い雪かきをする子供を見て、そう反応したにすぎません。ただ、万物に神を感じた日本人の感性というもは、こういうものかなと思いました。

 雪が子供の成長と日本人としてのアイデンティティを教えてくれました。この雪で被害に合われる方が、ひとりでも少なくなることをお祈りします。